ごみだまろぐ

甲虫屋のネガティブ日記

台湾採集行 初日

集合時刻の数十分前に、集合場所の福岡空港に到着。時間は正午近くであり、外は大変暑くなっていた。同行者の一人であるH先輩は既に来ていて、私が遅刻することを期待していたようで大変悔しがっていた。



台湾楽しみだなあという話をしているうちに集合時間はとうに過ぎていることに気付いた。ところが、もう一人の同行者であるAが来ない。Aは私たちとは大学が異なり、福岡空港に着くのが若干遅れるだろうと思っていたが、これはいくらなんでも遅すぎる。連絡をとってみると、乗るバスを間違えたとのことであった。

さっそくのトラブルであるが、今思い返してみるとこれはほんの序章、しかも些末な部類であった。


十分ほど遅れてAが到着、いよいよ飛行機に搭乗する時が来た。といっても台湾への直行便ではなく、一度関空を経由して台湾に向かう予定だった。


飛行機に乗る経験はもう何回も済ませているので、特に問題もなく荷物検査を終える。ところが、Aはピンセット類などを手荷物に入れていたらしく、チェックを受けていた。いくら先がとがっていてもピンセットはピンセットなのだが、日本の空港はこういう物に対しては本当に厳しい。日本の飛行機でテロ行為を起こすのは大変厳しいだろう。裏返せば私たちの安全は保障されているともいえる。


フライト中に爆睡し、無事関空に到着。よし、今度こそ台湾への飛行機に乗るぞ……と意気込み、チェックインする。

……ん?私のバーコードが認識されない。どういうことだろうか。受付のお姉さんに訊いてみると、澄み渡る青空よりも真っ青になるような驚愕の返答が来た。


「成田さまの予約はキャンセルされています」


ハァ???おいおいどうなってるんだ。普段は冷静沈着なナイスガイとして名が知れている私であるが、この時ばかりは本当に取り乱してしまった。
これこれ、お金は払いましたよと航空券代の精算のレシートを見せたが、しかし、キャンセルされている以上乗せるわけにはいきません、という旨の回答が返ってくるばかり。さらに、乞食のような恰好をしている若者に対して、よくもまあこんな心ないことが言えるもんだというような提案をしてきた。


「あと3万円ほど支払えば新規の予約扱いということで乗ることができますよ」


このお姉さん、野原に咲く一輪の花のようなさわやかな笑顔で、まるでポル・ポトのような鬼畜なことをおっしゃる。私の財布の中を見てください、3万円も失ったら、2週間の台湾滞在で一食もできない生活を強いられてしまいますよ。それどころか宿に泊まることさえできませんよ。私が飢え死にしても、台湾の無法者にぶっ殺されてもその笑顔を崩さないんですか。どうなんですか。


手続きを順調に終わらせたらしい他の二人を横目に、これで私の台湾採集は終わりか、ずいぶん短かったなぁ、というか台湾の土を踏むことすらなかったなぁと思っていると、ずっと気にかかっていたことがふいに頭によぎった。


「そういえば、不手際で2つのメールアドレスで二重に手続きしたんだよなぁ」

ということは、バーコードは2つのアドレスに別々に送られているから、手元にもう一つバーコードがあることになる。こうなりゃヤケだ。


「こっちのバーコードを見てくれませんか」


迷惑な客だが、事情が事情だから仕方あるまい。バーコードを確認していた受付のお姉さんが顔を上げた。


「こちらではキャンセル扱いになっていません。乗ることができます」


良かった。本当に良かった。勝手に顔が緩んでしまった。福岡にとんぼ返りなどという笑い種にもならない事態は避けられた。受付のお姉さんは私からお金をむしり取ることができず少し残念そうだったが、そんなことはどうでも良い。本当に良かった。


他の二人に手続きできたことを伝え、いよいよ、いよいよ台湾行きの便に乗る。出国ゲートを抜けると、そこはもうほとんど台湾人ばかりだった。平日の昼間に台湾に行こうとする人間など、我々くらいなのだろう。

さらば、日本。


3時間のフライトを終え、台湾の桃園国際空港に到着。そこは、異国情緒漂う、独特な、馴染みのない空港……というわけではなく、意外にも綺麗な、都会らしい空港だった。

ただし、まわりの案内板に書いてある文字は紛いもない中国語であり、自分は外国に来たのだという実感が湧いた。


入国審査を終え、とうとう空港の外に出た。もう日はほとんど暮れているというのに、福岡では感じられなかった、むわっとした熱気が身を包んだ。空港のまわりは都会であり、道路には車が絶え間なくビュンビュン走っていた。

空港で日本円を台湾ドル(NT$)に変換したあと、我々はバスで駅に向かい高鐡(Gaotie、いわゆる新幹線)に乗った。高鐡の料金は二駅でNT$500ほどであり、日本円ではだいたい1500円くらいとなる。日本の新幹線と比べるとかなり安い。


台中駅で高鐡を降り、それから今度は電車の駅である新烏日駅に向かった。この二つの駅は駅名こそ違えど、建物が連結しているので行き来するのに時間はそうかからない。

新烏日駅のホームには電光掲示板があり、台湾が田舎であるというイメージは完全に払拭された。こんな町の中で虫が採れるのだろうか?


しかし、電車が到着する時間になっても、ホームに電車が入ってくる様子はない。遅延の知らせもないようだ。どうなっているんだろうか。定刻通りに電車が来る日本がおかしいのかもしれない。

暇なのでホームの灯りに虫が飛来していないかチェックすることにした。


……すると、薄暗いところに明らかに怪しい影を見つけた。いいか、あれは絶対に虫だ。虫屋の目がそう告げている。深夜の採集で鍛えられた目はそうそう誤魔化せないぞ。

そろりそろりと影に近寄る。台湾第一号の輝かしい栄光を背負った虫が、今にも私の手に入ろうとしている!




















ワモンゴキブリだった。


普通種だよね?そもそも日本にもいるよね?こんなものが台湾第一号であってたまるものか!全力で見なかったことにした。

あれは虫じゃない。私の目が間違っていたのだ。あれはワモンゴキブリに見えたが、きっとワモンゴキブリの形をしたネコだったんだ。ネコは採集できないからな。昆虫だったら採集したんだけどな。残念だよ。うん。きっとそうだ。

そう言い聞かせた。


数分遅れが当たり前だというように、電車が到着した。両数は結構あったように見えたが、残念ながらホームの長さの半分にも満ちていなかった。ホームが大きすぎるのか、それとももっと長い電車があるのか、どっちなのだろう。


電車に乗り、台中駅で降りる。紛らわしいが、電車の台中駅と高鐡の台中駅は全然違うところにあり、全くの別物である。私たちが泊まるホテルは、こちらの台中駅の近くにある。

しかし、また問題が発生した。


「ホテルの場所がわからない」


とりあえず、こちらだろうと思われる方向に歩く。歩く。歩きまくる。駅のまわりはそれほど高くはないビルが立ち並び、車とスクーターが何十台も行き交っていた。
スーツケースを転がし、リュックとやたら長いモノを背負った我々を台湾人たちは物珍しそうにじろじろ見ていた。もう夜なのに、あっという間に汗だくになった。ベッドに横になりたい。でもホテルが見つからない。


何分、いや何十分歩いただろうか。ようやくホテルが見つかった。綺麗なホテルであった。とても小汚い我々には似つかわしくない。

荷物を置いて、晩飯を食べに外に出た。飯屋を探して歩き回るが、どこもかしこも閉まっていた。そんな馬鹿な。まだ夜の10時だというのに。

結局コンビニくらいしか開いておらず、初日の台湾飯はコンビニ飯にすることにした。といっても、日本のコンビニ飯とはメニューが異なり、どれも台湾風であった。私はピラフのようなものと、黒松沙士を買った。沙士というのは、簡単にいえばルートビアのような飲料のことである。ルートビアのほうがうまいか、沙士のほうがうまいかはとてもここには書ききれない問題である。


ありがたいことに先輩に台湾ビールを奢っていただき、宿に戻る。そして、今日はおつかれさまでした、と乾杯した。異国風味の料理に涙が出そうになった。とてもおいしかった。


初日から本当にいろいろなことがあった。しかし、これは本当にまだ始まりに過ぎないのだ。これからの、二週間に亘る台湾採集行は、私の人生の中でも、最も濃かった二週間と言えるような、それくらいのことがあったのだ。