ごみだまろぐ

甲虫屋のネガティブ日記

残波ホワイト

高校の時の恩師が、インターハイの関係で福島県からはるばる北九州市にやってきて、夕食をご馳走していただいた。

自分の将来についてや、福島県の教育方針などさまざまなお話をさせていただいた。


中でも印象に残っているのは、やはり福島県原発事故による放射能の影響についてだった。
マスコミや市民が放射能の影響について、声高に危険性を主張しているが、科学的見地から基づけば、人体に影響はほとんどないといったところが真相のようだ(もちろん原発の近くで、日々高い線量を記録している地域以外の話である)。

しかし、そういったことを言っている人々に、いくら科学的な根拠を提示しても、伝わらないのが実情である。

福島県産の農産物を積極的にアピールする試みが各地で行われているが、個人的に、それは逆効果な気がする。
安全なのは安全だが、無理に押し付けると、却って裏があるのではないかと勘繰る人々が出てくるだろう。

この件に関しては、いい意味で風化するのを待つしかないと思う。事故の惨状を忘れるということではなく、現在流れている無根拠な危険性がいったん影をひそめるまで待つしかないという意味だ。

実際、事故直後よりは、放射能のことなど考えていない福島県民が多いようである。


しかし、この話で考えさせられたのはこの話ではない。私は福島県を離れて福岡県に移ることで、この事故がどこか遠いことのように思っていた部分が、最近日常的に存在していたということである。事故を経験していたのにかかわらず。

しかし、こうしてほぼ無関係な日々を送っている間にも、放射能について、毎日頭を悩ませ続けている人々がいる。助けを求めている人々がたくさん存在している。


まだ事故は終わっていないのだと、つくづく思わされた。